鳥居の建立

多度津町山階・春日神社 龍王宮鳥居

山階の春日神社に新たな鳥居が建てられました。

譲り受けた神明鳥居

この鳥居はもとは献穀田で使われていたものです。木造で高さ約2.6m、幅は約2.8mあります。

献穀田ケンコクデンとは?

献穀田は11月23日の新嘗祭ニイナメサイで宮中に奉納する穀物を作るための田んぼ。
香川県では毎年1カ所の田んぼが献穀田として厳選され、そこで穫れたお米が天皇陛下に献上されています。

献穀田には鳥居が建てられ、田んぼのまわりは竹矢来タケヤライ(竹を組んで作った垣根)が張り巡らされます。その時に建てられていた鳥居を今回譲り受けたそうです。

神明鳥居

鳥居は大きく分けると明神ミョウジン系と神明シンメイ系の2種類に分けられますが、この鳥居は神明系。2本の柱の上に笠木カサギを乗せ、その下にヌキをつけて固定した簡素なものですが、明神鳥居よりも古い歴史があります。

鳥居は一種の結界であり、神域への入り口を示すものです。

建立工事

令和4年12月15日 多度津町山階・春日神社 龍王宮鳥居建立

建立工事は氏子によって行われました。

この写真は12月15日に撮影したものです。

防腐剤を塗り、基礎が固まるまで支柱を立てて固定しています。

龍王宮と天霧山

多度津町山階・春日神社 龍王宮 龍神祠と天霧山

鳥居は春日神社の境内末社である龍王宮リュウオウグウに建てられました。

龍王宮は春日神社の西に鎮座する天霧山アマギリヤマ遥拝所ヨウハイジョ
遥拝所とは遠く離れたところから神仏などを拝むための場所です。

龍王宮の奥には龍神祠という祠があり、その先に見えるのが天霧山です。

龍神様が住まう天霧山

天霧山 多度津町山階

天霧山は古くは雨霧山とも記され、その名の通り雨の時は山頂が霧雲に覆われます。

農業が盛んなこの地域では、農作に必要不可欠な雨水を恵んでくれる山として古くから崇拝されてきました。

中世に天霧城という山城があったことでも知られており、その跡地は国指定の史跡となっています。

天霧山と龍神祠

天霧山に祀られているのは高龗神タカオカミノカミという水や雨を司る龍神様です。地元では「りゅうごんさん」と呼ばれています。この龍神様の祠が龍神祠で、山中にも祠があります。

天霧山の龍神祠は文化8年(1811)の大旱害(水不足による農作災害)の時に、亀山助左衛門次郎の子「亀八」という人物によって祀られたとされています。

龍神様はもとは亀山家の守護神だったそうですが、雨のご利益があるので天霧城跡に祀り、亀山家の子孫の手によって代々保護管理されてきたようです。

その後、雨乞いの祈りを捧げるたびに次第に霊験あらたかとなり、毎年旧暦5月吉日に例祭が行われるようになりました。当時は山の上まで登って獅子舞奉納をしていた歴史があります。

現在は山に登ることはなく、毎年4月に「龍王祭」と称して、天霧山の麓にある西村公民館に祭壇を設け、神事と獅子舞奉納が行われています。

参考史料

  • 四箇村史
    昭和32年(1957) 四箇村史編纂委員会/編 
    P606

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です