令和七年 「乙巳」
あけましておめでとうございます。
私たちの獅子舞には「道」というものがございます。それは舞の移動経路を一本の線で表したものであり、滑らかでありながら複雑な、まさにヘビのような道筋です。獅子の遣い手となるには、この道を覚えなくてはなりません。とはいえ「蛇の道はヘビ」という言葉があるように、この道は簡単に辿れるものではありません。
少子化の影響により、獅子の遣い手は減少しつつあります。それでも、古くから受け継がれてきた舞に誇りを持ち、この地にしかない「獅子の道」を未来へとつなげていく、その使命を胸に、ヘビのように粘り強い姿勢でこれからも獅子組の活動を続けていきたいと思います。
どうぞ本年も変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
これからの郷土の発展と、皆々様のご健康とご多幸を祈念して、新年の挨拶といたします。
令和7年元日 上小原獅子組一同
粘り強く成長する年
今年の干支は、乙巳です。
乙は「木」の要素を持ち、植物が成長し広がっていく様子を示しています。そして巳は十二支のヘビのこと。脱皮によって傷が再生するヘビは不老不死の象徴です。
柔軟な思考と粘り強い努力を重ねることで、成長できる年であることを暗示しています。
神様の化身
ヘビはその見た目から苦手な人も多いですが、神様の化身として扱われることもある縁起の良い生き物です。
例えば、白いヘビは弁財天の化身とされ、金運にご利益があるとされています。ヘビの抜け殻を財布に入れるとお金が貯まりやすくなるという言い伝えは有名ですね。
また、大物主神の化身もヘビとされています。大物主神は大国主神や大己貴命など複数の別名を持つ神様で、多くの神社で祀られています。山階春日神社の末社の中では若宮神社、護正神社、荒魂社などで祀られています。
神社の近くでヘビに遭遇したらそれは神様かもしれません。
宝殿祠の赤いヘビ
多度津町山階にあるワイケーエスさんの近くに宝殿祠という小さな祠があります。その傍らには宝殿堀という堀があり、ここには神の使いである赤いヘビが現れるという伝説が残されています。
赤いヘビというのはヤマカガシ(あずき蛇)でしょうか。古老の話によると山階にたくさんいたそうです。
「宝殿」という名称は放生田に由来するものと考えられます。放生田とは仏教行事のひとつである放生会のための田んぼを指します。
放生会は、捕らえた生き物を自然に返し、その命を供養する儀式で、奈良時代から全国各地の寺院や八幡宮を中心に行われてきました。現在でも京都の石清水八幡宮などで伝統が受け継がれています。
古い記録によると山階の春日神社の社地にも八幡宮があったようです。宝殿祠は春日神社の参道の延長線上にあり、近くに墓地もあります。この宝殿祠周辺に八幡宮が鎮座していたのかもしれません。
また、多度津町庄にも「放生田(宝生田)」という地名が残されており、地域の八幡信仰の深さを感じさせます。
近年ではヘビに限らず野生動物に出会う機会は少なくなりましたが、生き物を大切にする心を忘れず、自然と共に暮らす意識を持ち続けたいものです。
ヘビにまつわる方言
ヘビには時代や地域によって様々な別名や方言があります。
中でも有名なのが「クチナワ」ではないでしょうか。ヘビが朽ちた縄に似ているからだそうです。
私たちの地方では、「クチナゴ」や「タチナワ」と呼ばれていました。また、ヘビの種類によっても呼び名が異なり、シマヘビは「ナミサ」、マムシは「ハミ(ハメ)」、そしてアオダイショウ(特に家の中に現れるもの)は「ケタマイ(ケタマル)」と呼ばれていたようです。
さらに、ヘビを家の守り神として崇める風習もあったとか。その場合は「七十五膳さま」と呼ばれました。この名は、神前に75組のお供えをする習わしに由来するとされています。75という数字については、75柱の神々を祀っていたため、氏子の家が75軒だったためなど、諸説あるようです。
現代では家の中でヘビを見ることは珍しくなりましたが、昭和の農村ではどの家にもヘビがいました。ネズミなどの害獣を食べるため大切にされていたのです。
それでも苦手な人が多いヘビ。この「苦手」という言葉は「嫌なもの」という意味で用いられますが、江戸時代では不思議な力を持つ手のことを指しました。その名の通り苦味のある手とされていて、触れただけで腹痛を治療(手当て)したり、ヘビを動けなくしたとか。そのため、昔はヘビを簡単に捕える人のことを「ニガテ」と呼んでいたそうです。ヘビはニガテが苦手だったのですね。
年末年始は実家でゆっくりされる方も多いと思います。方言や昔の風習に触れ、故郷の温かさを感じるひとときではないでしょうか。皆さんもぜひ、地元の話題で楽しい時間をお過ごしください。