境内にある施設をご紹介します。ぜひ参拝や散策のガイドとしてご利用ください。
目次
施設一覧
社号標
山階の春日神社は国道11号線沿いにある(株)セイサンエクスプレスさんの脇道を北に進んだところにあります。
最初にあるのは「春日神社」と彫られた社号標(標石)。高さ約90cmの石組みの上に、高さ約180cmの自然石を立てています。
昭和51年(1976)に建立されたもので、若宮神社の境内にあります。
若宮神社
若宮神社は春日神社の境外末社であり、秋季例大祭におけるお旅所(駐輿所)です。
お神輿を置く石台の後ろに祠があり、西を向いて鎮座しています。御祭神は大己貴命。
『四箇村史』によると、祭日陰暦9月8,9日、本殿あり氏子6人と記されています。
若宮神社は参道手前の道脇にあり、昔は馬場先(馬を留めておくところ)として使われていました。
境内面積は約160坪。平成7〜8年(1995〜1996)に整備が行われ、境内の周りは玉垣で囲まれています。
地元の人々からは「若宮さん」の愛称で呼ばれています。
一の鳥居
高さ約5mの石造の鳥居。昭和31年(1956)に建てられた鳥居が損傷したため、昭和63年(1988)に再建されました。
これは「明神鳥居」という種類の鳥居で、柱に転び(傾斜)がついており、笠木と島木(最上部の横材)の両端には反りがあります。
扁額(神額)には「春日神社」と彫られています。鳥居を越えたところが神域です。
参道
参道は昭和59年(1984)に舗装され、平成9〜12年(1997〜2000)にかけて側壁工事が行われました。
昔は馬場(乗馬のための土地)で、参道の両側には不揃いな老松が植わっていたそうです。今は道路並木となっています。
植えられている木は貝塚息吹が多く、平成11年(1999)には12本が植樹されています。
二の鳥居
駐車場
参拝者用の駐車場。面積は約90坪。舗装されたのは昭和59年(1984)で、以前は土庭でした。
秋季例大祭の傘揃えでは、この場所で6つの獅子組が横一列に並び、同時に獅子舞を行い、舞比べをします。
周りには120枚以上もの寄付板(寄進者名と金額が彫られた石板)が立てられています。寄進された年代は最近のものから明治初期のものまで様々です。
注連柱
明治31年(1898)に建立されたもので、高さは約4.5m。柱には「天孫降臨護九天」「春日祀典垂千古」と彫られています。
注連柱は石柱(標柱)の間に注連縄を張ったもので鳥居の原型と言われており、鳥居と同じように神域を分けるためにあります。
注連縄にはその神域を守る「印」のような意味があります。
閻魔堂
注連柱の西側にあるのが閻魔堂。東を向いて建っており、約1間×2間の切妻造瓦葺。軒には鋼板が使われており、機能性に富んだ造りです。
もとは昭和59年(1984)に造営されたもので、平成28年(2016)に再建されました。
閻魔堂は仏教施設で、神仏習合の神社であることを象徴する建物です。
軒下の扁額には「大王堂」と書かれています。中には地獄の主である閻魔大王をはじめとする12体の仏像があります。
通常は戸が閉まっており、中を見ることはできません。お賽銭だけ隙間から入れられるようになっています。
狛犬
参道の両端に設営されている狛犬の石像。東(右側)の阿像は口を開き、西(左側)の吽像は口を閉じています。阿吽の呼吸で神様を守る守護獣です。
さらに、阿像は玉(鞠)を持っており、吽像は子連れです。玉には「運気がよく転がるように」、子連れには「子孫繁栄」の願いが込められているそうです。
この狛犬は平成30年(2018)に新しく作られたものです。
これは昔の狛犬。今よりも少し小さいものでした。台石はこの当時のものを修復して今も使っています。
台石には古代文字で「奉」「献」と彫られています。他にも文字が刻まれていますが、一部は読み取れなくなっています。
一般的には一対で狛犬と呼ばれますが、正式に狛犬と呼べるのは吽像のみで、阿像は「獅子」と呼ぶそうです。
百度石
石燈籠
百度石の後ろにあるのは、自然石で造られた石燈籠。昭和52年(1977)に建立されたもので、基礎となる石には「御神燈」と彫られています。
石燈籠は境内や参道の夜間照明であり、御燈(神様に供える灯火)でもあります。
もとは仏教寺院のもので、平安時代以降に神社にも浸透したとされています。
随神門
1間半×3間の切妻造瓦葺の門。古い書物には入母屋造と記されています。鬼瓦の卍の紋は仏教色を感じさせます。
造営された年代は不明ですが、少なくとも明治以前のものと思われます。鯱鉾の飾り瓦、軒下の龍をはじめとする各部の彫刻は巧妙です。
秋祭り期間中は提灯(御神燈)や草鞋が供えられます。
随神門では随神(神様を警護する守護神)が門番となり、邪悪なものが侵入するのを防いでいます。
写真は門の中を撮影したものです。狛犬と同様に、東(右側)に阿像、西(左側)に吽像が設営されており、それぞれ番犬を連れています。
随神門の両端からは境内を囲むように、玉垣が建立されています。
玉垣
玉垣は神社を囲む外柵で、神域と人間が住む俗界を分ける結界です。
大小416本の石柱をつなげたもので、総延長は約110m。石柱には寄進者の名前が彫られています。
南西側の玉垣は昭和9年(1934)に建立。その後、昭和11年(1936)に下石積みが行われ、昭和49年(1974)に南東・北西側の玉垣が建立されました。
玉垣の石柱のうち、25本は擬宝珠(玉ねぎ型の飾り)が付いており、37本は石燈籠になっています。
火袋(明かりを灯す部分)には電球が入っています。昭和59年(1984)に配電工事が行われるまでは蝋燭で、1本ずつ灯してまわるのは獅子組の役目でした。
火袋の窓は丸い形がほとんどですが、南西側にある古い燈籠11本には月(三日月)と日(太陽)の彫刻が見られます。
広前
記念碑
山階地区の潅排水工事(農業用水路)の完成を記念して建てられた石碑です。長年の問題を解決した功績を称える顕彰碑でもあります。工事は昭和38年(1963)から12年かけて行われる大規模なものでした。
高さ100cmの石組みの上に高さ215cmの碑を建てています。昭和49年(1974)に山階地区水利組合一同により建立されたもので、題額の書は当時の県知事(金子正則氏)のものです。
手水舎
手水舎は拝礼前に洗心する(心身を清める)ための施設。軒下の扁額(奉納額)には「洗心之行」と書かれ、水盤にも古代文字で「洗心」と彫られています。
洗心は柄杓で水をくみ、手と口を清めます。これには正しい作法があり、実践することで心(魂)も清められるとされています。
手水舎は約4尺×1間の切妻造瓦葺。昭和59年(1984)に造営されたものですが、水盤は文化13年(1816)のものです。
神楽台
高さ約80cm、幅約4m四方の石造の神楽台。秋季例大祭の前夜に行われる宵祭り(宵宮)では、この上でお神楽が奉納されます。
設営されたのは昭和49年(1974)。石の神楽台は香川県内でも中讃地域によく見られる施設だそうです。
神楽台ができる前、昭和30年代まではこの辺りに大きな槇柏の木があったようです。
神前燈籠
神前燈籠は参道や神前に建てられた石燈籠。境内に10基、境外に1基あります。四角平面で、柱が細くくびれているのが特徴です。
写真は随神門の近くにある一対の神前燈籠で、平成8年(1996)に若宮神社の玉垣とあわせて建立されたものです。
火袋(明かりを灯す部分)の窓の形は四角や丸などが多く見られます。
拝殿前の神前燈籠一対は火袋が特徴的です。
火口(明かりを入れる口)が6角形で、窓は月(三日月)と日(太陽)との対比になっています。
火袋を支える柱のくびれも美しい曲線を描いています。この燈籠は拝殿よりも古く、元文5年(1740)に建立されたものです。
春日燈籠
広前(神社の前庭)の周りにある石燈籠が春日燈籠。六角平面で、竿が円柱になっているのが特徴です。昭和50年〜平成9年(1975〜1997)にかけて建立されました。
春日燈籠の名前の由来は奈良の春日大社で、そこには2,000基もの石燈籠があるそうです。山階の春日神社には39基の春日燈籠があり、他の型の燈籠を含めると全部で88基の石燈籠があります。
春日燈籠は火袋(明かりを灯す部分)の彫刻も特徴的です。
透かし彫の格子、三笠山、神の遣いである「鹿」は奈良・春日大社に縁のあるものです。
ちなみに39基のうち、1基だけ座っている鹿が彫られている燈籠があります。ぜひ探してみてください。古い春日燈籠には雲と月日(三日月と太陽)も彫られています。
龍王宮
龍王宮は天霧山の遥拝所(遠くから拝む所)です。
西向きの祠が龍神祠で、その先に見えるのが天霧山。この地域には「天霧山に雲がかかれば雨」ということわざがあり、雨を恵んでくれる山として崇拝されています。
龍神祠は天霧山の山中にもあり、文化8年(1811)の大旱害(農業用水不足)の際に祠を建てて高龗神(水や雨を司る龍神)を祀ったという記録があります。
龍王宮は当社の境内末社(荒魂神社)でもあります。 龍王宮の脇に鎮座しているのが荒神祠。大物主命を祀っています。その他にも古祠がいくつか見られますが由緒は不明です。
龍王宮の鳥居は令和4年(2022)に建立、神前燈籠一対は昭和54年(1979)に建立されたものです。燈籠の横には新しい小祠があります。
由緒碑
拝殿
拝殿は神様に拝礼するための建物です。2間×6間の入母屋造瓦葺。
鬼瓦には随神門と同様に卍の紋が見られ、寺院の面影も感じられます。
明和3年(1766)の造営で、大正11年(1922)、昭和53年(1978)、昭和59年(1984)と度重なる改修を経て今日に至ります。
秋祭り期間中は、神社幕や提灯(御神燈)で装飾されます。そこには春日神社の神紋である「下がり藤」が描かれています。
拝殿前には神前燈籠や石造の榊立が常設されており、手水鉢なども置かれています。
一般的に神社によく見られる鈴はついていません。
庇の下には大きな注連縄が掛けられ、扁額には「以清白意敬奉神祇」と書かれています。
祭祀の日以外は扉が閉まっています。過去に何度か賽銭泥棒に荒らされたことがあり、厳重に施錠するようになったそうです。扉の南京錠にはこじ開けようとした痕跡が見られます。
扉の中央部には隙間があり、お賽銭を入れられるようになっています。
幣殿
幣殿は祭祀を執行する場所でもあります。写真はそのときの様子です。
白い紙垂(稲妻型の紙)を挟んでいるものは「御幣」と呼ばれるもので、御供物の一種です。他にも三方(台)の上にたくさんの御供物が置かれています。
祭壇の両端に置かれているのは真榊。五色絹の幟の先に榊を立て、三種の神器を掛けたもので、右が鏡と勾玉。左が剣です。
本殿
本殿は御神体が安置されている建物で、一般人は入ることが許されない神聖な場所です。
応永21年(1414)に遷宮された後、寛永15年(1638)に再建。その後、宝永地震により崩壊し、その翌々年の宝永6年(1709)に再建されたのが今の本殿です。
寛永15年(1638)再建時の棟札(建築を記念して付ける札)は現存しています。
本殿の各所に施された彫刻も素晴らしく、特に枓栱(軒を支える木製の組物)は精緻を極めます。
昭和29年(1954)に多度津町と合併するまでは村の有形文化財にも指定されていました。
建造物としてはもちろん、組物や本殿内部の御神体の彫刻、棟札の書跡なども文化的、歴史的に評価されています。
透塀
透塀は内部が透けて見える木造の塀です。本殿を囲っており、「瑞垣」と呼ばれることもあります。
塀には格子がはめられ、銅板葺の屋根もついています。昔は瓦葺だったようです。
造営は宝永6年(1709)で、平成5年(1993)に改修されました。高さは7尺(約2.1m)。延長は22間半(約41m)あります。塀の外周は通路になっており、社殿の後ろに回り込むことができます。
古札納所
社殿の東にある古札納所は古いお札(お守り)を納める所です。
約1間×1間半の切妻造。もとは文政7年(1824)に造営されたもので、令和2年(2020)に改修されました。改修に伴い屋根は瓦葺から鋼板へと変わりましたが、柱や梁は当時のものです。
建物の中には稲作・農業をはじめとする生活の神様として宇迦之御魂大神(お稲荷さん)を祀る祠があります。
御神体は鏡で、その両脇には神様の使いとして狐の置き物があります。
祠の左には約1畳の間があり、納められた物をお焚き上げの日まで置けるようになっています。
石塔・祠
社殿の裏では古い石塔や祠がたくさん祀られています。
江戸時代後期、当社には6つの祠があったとされていますが、そのうち3祠(八幡宮、総官祠、権者神祠)は現在不明です。これらはその名残なのかもしれません。
社殿の北側では石塔が多く見られます。
社殿の西側では石塔と祠が並んでいます。
明治時代以降、神社統合などの国の政策により、近隣に散在していたものが集められたのかもしれません。古民家の屋敷神や道端の道祖神なども合わせて祀られているものと思われます。
石塔(御墓)であっても、祠(神様)であっても同様に祀られ、古くからの信仰の対象となっています。
御神木
社殿の西にある御神木。御神木には神様が宿っているとされ、注連縄が掛けられています。
幹の太さは直径約1m。常緑の高木です。
大正時代までは幹の太さが直径9尺(約2.7m)もある松の老木があり、御神木として祀っていたそうです。
収蔵庫
御神木の隣にある収蔵庫は、秋季例大祭の時のお神輿や神具などを保管しておく建物です。境内の西にあって南を向いています。
昭和59年(1984)に造営されたもので、約3間×4間の高床式の切妻造銅板葺です。
天明5年(1785)に神輿庫として造営されたときは、2間×2間の宝形造瓦葺の建物だったようです。
裏門
境内西側にある春日燈籠に沿って進むと裏門(西の出入り口)があります。
大正7年(1918)に出版された『仲多度郡史』によると、裏門は1間×4尺、切妻造瓦葺と記されているため、当時は建物としての門があったのかもしれません。
裏門を出ると、玉垣に沿って農業用水路と畦道(田んぼ道)が続いています。
神輿休
社叢
社叢は境内を囲むように密生している森林です。「鎮守の杜」とも呼ばれます。
大正時代までは古松の群生地だったようです。今は松は少なく、広葉樹が多く見られます。
10mを超える木が数多く覆い茂っており、鳥や昆虫たちの住処となっています。
遊び場
社叢の北西の隅に設けられている子どもの遊び場。滑り台とブランコがあります。
少子化の影響もあり、ここで遊ぶ子どもは少なくなりましたが、今でも定期的に近隣の方がお手入れされています。
子どもの遊び場の横の坂を上がると、池の土手です。
新池
藤波池
境内の東にある池。江戸中期の造成とされており、新池を含めて昭和63年(1988)、平成16年(2004)に改修されました。
「藤波」の由来は春日神社の社紋(神紋)である「下がり藤」によるものとされており、秋季例大祭でもお神輿がこの池の土手をまわることから神社と深い関係のある池と言えます。
全長は533m。冬にはカモ、サギ、カイツブリ、カワウなど多くの水鳥が集まる名所です。
桜の木
石碑一覧
境内およびその周辺には数多くの石碑があります。ぜひ探してみてください。
- 社号標の奉献碑(社号標の台石の背面)
- 馬場玉垣建立之碑(若宮神社境内)
- 馬場側壁工事 完成記念碑(一の鳥居近く)
- 鳥居再建之碑(一の鳥居近く)
- 拝殿 収蔵庫 等新築改修竣工記念碑(閻魔堂の横)
- 狛犬の奉献碑(狛犬の横)
- 石燈籠の奉献碑(石燈籠の背面)
- 玉垣の奉献碑(随神門の横)
- 春日燈籠の奉献碑(随神門の横)
- 潅排水工事完成記念碑(手水舎の横)
- 神楽台の奉献碑(神楽台の側面)
- 春日神社由緒之碑(龍王宮の横)
- 本殿透塀改築の奉献碑(由緒碑の横)
- 藤波池、山階新池改修記念碑(新池の北の土手)
- 藤波 新池 改修記念碑(藤波池の北の土手)
参考史料
- 仲多度郡史
大正7年(1918) 香川県仲多度郡/編
P606、607 - 四箇村史
昭和32年(1957) 四箇村史編纂委員会/編
P596、597、601、606、619〜623、806〜808 - 多度津町のいしぶみ
昭和63年(1988) 多度津町誌編集委員会/編
P10、11
上記は独自調査によるもので事実と異なる部分があるかもしれません。
情報の訂正はお問い合わせよりご連絡いただけると幸いです。