由緒
春日神社は平安時代の藤原氏の隆盛に伴い全国に広まりましたが、当社の発祥は不明です。
最古の記録は『道隆寺温故記』によるもので、応永21年(1414)に遷宮したことが記されています。室町時代初期には既に祀られていました。それ以前は大和春日の社領(荘園)で、社の背後の地一帯は古墳だったとされていますが、定かではありません。
社殿は何度も再建、改修されており、寛永15年(1638)に再建された際の棟札が現存しています。またこの地を治めていた国主・生駒氏の改易の際には大日領として一石五斗が寄進された記録が残っています。当時は神宮寺として大日堂があり、弘法大師(空海)が作った大日如来像が安置されていたようです。大日堂は現在失われておりますが、当社周辺に「赤堂」「大日」という地名として残っています。
『全讃史』や『神社考』によると、当社は山階村(今の多度津町山階)と弘田村(今の善通寺市弘田町)の2村によって祀られていましたが、弘田村は別に祠を立てて甲山寺が管理するようになったと記されています。分祀されたのは江戸時代初期頃とみられ、それから山階村と弘田村は別々の社で祀るようになりました。弘田村の社は現在、善通寺市弘田町の春日神社として甲山寺の西に鎮座しています。さらに江戸時代末期までは天満寺村(今の善通寺市碑殿町の東碑殿)も当社の氏子に加わっていたようです。山階に加えて、今の善通寺市の一部を氏子にもつ大きな神社だったと推測できます。
終戦までは四箇村社として社格も有しており、神饌幣帛料供進神社にも指定されていました。
明治維新の神仏分離令により日本各地で神社と寺院が分けられましたが、当社は今でも神仏習合思想(神様は仏様でもあるという考え方)が根付く神社で、境内の各所に仏教色が感じられます。
様々な環境変化の中、再建や改修を繰り返しながら大切に保存されてきたのは、国主やご先祖様、氏子の厚い信仰心があったからこそなのでしょう。今でもなお「山階の春日さん」として近郷の信仰を集めている神社です。
秋季例大祭では山階一円の氏子が集まり、大いに賑わいを見せます。
社歴年表
- 応永21年(1414)
- 道隆寺の賢秀法師により遷宮
- 寛永15年(1638)
- 大工藤原二郎右衛門により本殿再建
- 寛永17年(1640)
- 生駒高俊氏が大日領(一石五斗)を寄進
- 宝永4年(1707)
- 宝永大地震により本殿崩壊
- 宝永6年(1709)
- 大工奥白方村竹内壇右衛門により本殿再建、透塀造営
- 明和3年(1766)
- 拝殿・幣殿造営
- 天明5年(1785)
- 神輿庫造営
- 文政7年(1824)
- 古札納所造営
- 天保9年(1838)
- 鳥居(今の二の鳥居)建立
- 明治31年(1898)
- 注連柱建立
- 明治40年(1907)
- 神饌幣帛料供進神社に指定
- 大正11年(1922)
- 拝殿・幣殿改修
- 大正12年(1923)
- 百度石設営
- 昭和9年(1934)
- 玉垣(南西側)建立
- 昭和11年(1936)
- 玉垣基礎造成
- 昭和21年(1946)
- 南海大地震により鳥居倒壊
- 昭和31年(1956)
- 一の鳥居建立
- 昭和49年(1974)
- 玉垣(南東・北西側)建立、神楽台設営
- 昭和51年(1976)
- 社号標建立
- 昭和53年(1978)
- 拝殿改修
- 昭和59年(1984)
- 拝殿改修、収蔵庫・手水舎・炊事場・駐車場・閻魔堂造営、
参道舗装、神輿修理、石燈籠配電、由緒碑建立
- 昭和63年(1988)
- 一の鳥居再建
- 平成5年(1993)
- 透塀改修
- 平成8年(1996)
- 神前灯籠、若宮神社玉垣建立
- 平成11年(1999)
- 参道植樹
- 平成12年(2000)
- 参道側壁整備
- 平成16年(2004)
- 参道側壁改修
- 平成28年(2016)
- 閻魔堂再建
- 平成30年(2018)
- 狛犬改修
- 令和2年(2020)
- 古札納所改修
- 令和3年(2021)
- 随神門改修
- 令和4年(2022)
- 龍王宮鳥居建立
- 令和5年(2023)
- 拝殿・幣殿屋根修繕
江戸時代後期の春日神社
安政5年(1858)に成立した『西讃府志』に春日神社の記録が残っています。
編纂された年から、嘉永元年(1848)頃と思われます。
春日大明神
明治維新の神仏分離政策前で、春日神社ではなく春日大明神と記されています。
春日大明神は春日権現とも呼ばれ、神仏習合の神様です。
祭祀 九月九日
祭りは旧暦9月9日。重陽の節句に行われていました。
社地 東西二十四間、南北三十八間
神社の敷地は東西24間×南北38間で面積912坪。今よりも少し狭かったようです。
社僧 誕生院、祠官 原一馬、神子一人
神仏習合の時代、当社では誕生院(今の善通寺の西院)が仏事を執り行っていました。祭礼や社務に携わっていたのは原一馬という方で、巫女が1人いたようです。
八幡宮 緫官祠 權者神祠 荒神祠 龍神祠 若宮祠 以上六祠春日社地ニアリ
神社内に6つの祠があったようです。荒神祠と龍神祠は今の龍王宮(荒魂神社)、若宮祠は今の若宮神社と思われますが、残りの3祠は所在不明です。ご存知の方いらっしゃいましたらぜひ教えてください。
大日堂
春日神社の敷地内に建てられた御堂。あったとされる場所については現在調査中です。
上組ニアリ、堂地 東西十二間、南北五間、免田一段二畝
上組は地名で現在の上と思われます。敷地は東西12間×南北5間で面積は60坪。免田は税を免除された農地で1段2畝は360坪。合計で420坪となり、これは寛永17年(1640)に生駒氏が寄進した領地1石5斗とほぼ一致しています。
昭和30年頃の春日神社
写真は昭和30年頃の春日神社の境内。
現在の手水舎や神楽台はなく、参道手前の神前燈籠も今のものとは違います。拝殿の前には大きな槇柏の木が見えます。
大正時代まで春日神社は松の群生地だったとされており、最も大きい古松は幹が直径9尺(約2.7m)あったとされています。
参考史料
- 道隆寺温故記
天正16年(1588) 道隆寺/蔵 - 讃岐国絵図
寛永10年(1633) 金刀比羅宮/蔵 - 生駒家家臣分限ノ記
寛永16年(1639) 上坂氏顕彰会/蔵 - 生駒高俊公御領分讃州郡村村並惣高覚帳
寛永17年(1640) 志度町多和文庫/蔵 - 全讃史
文政11年(1828) 中山城山/著 - 讃岐国神社考
天保5年(1834) 秋山厳山(惟恭)/著 - 西讃府志 43・44
安政5年(1858) 秋山厳山(惟恭)/著 - 仲多度郡史
大正7年(1918) 香川県仲多度郡/編
P603〜607 - 香川県神社誌 下巻
昭和13年(1938) 香川県神職会/編
P262 - 四箇村史
昭和32年(1957) 四箇村史編纂委員会/編
P17、105、596、597、806 - 多度津町史
昭和38年(1963) 多度津町史編纂委員会/編
P915 - 生きている民俗探訪香川
昭和52年(1977) 武田明/著
口絵 - 多度津町の地名
昭和63年(1988) 多度津町教育委員会/編
P90、93
稱光院御宇 應永廿一甲午年秋八月日 多度郡山階縣春日大明神遷宮執行 秀勤之焉
『道隆寺温故記』より引用
春日大明神 在山階村
是古祠也 昔山階弘田二村之所社祀也 今則弘田別立祠 甲山寺主其祭大日堂 在山階村
『全讃史』より引用
本尊則弘法大師作 生駒候捨佛餉一石五斗
春日大明神 在山階村 本爲弘田鄕社 有故而二村生𨻶因分爲二社云
『讃岐国神社考』より引用
祭神 天児屋根命を祀る春日神社は、山階鎮護の氏神にして、鎮座の年代は詳かではないが「稱光天皇の御宇、応永二十一年午年(一四一四)秋八月遷宮」と道隆寺温故記に記されているから五百七十有余年の社歴をもつ、国主生駒氏の崇敬殊のほか厚く社領一石五斗を奉納される、親神は、平和を愛し強く正しい心と体をかねそなえられていたので氏子は遠き祖先よりそのご神徳を仰ぎお慕い申しあげてきたのであろう、寛永十五年(一六三八)再建、宝永四年(一七〇七)大地震により崩壊、同六年再再建、境内は、千二百二十五坪余を有し広壮にして風致に富む、本殿の建築は壮大にして彫刻の妙技は近郷に希な大社である、拝殿は
春日神社由緒之碑より明治三年(一八七〇)明和三年(一七六六)の造営で大正十一年(一九二二)改修、昭和五十三年(一九七八)同五十九年(一九八四)改修、同時に収蔵庫手水舎、炊事場の新築、参道舗装等附帯工事を行う、敬神の念厚い氏子は社に拝伏し感恩を謝すとともに開運、厄除、安全等の祈願するため参拝多し、当社はもと四箇村社である
昭和五十九年九月吉日
山階春日神社氏子惣代会