仲多度郡史

仲多度郡史 獅子舞

「仲多度郡史」という歴史書をご存知でしょうか?

仲多度郡の歴史をはじめ、大正時代のこの地方の様子を詳細にまとめた貴重な郷土史料のひとつです。

ここに記されている獅子舞の内容が興味深いものだったのでご紹介します。

大正時代の獅子舞

仲多度郡史では獅子舞を次のように紹介しています。

獅子舞
地方神社の祭典に、獅子舞を奏するは古き風習にして、秋祭には必す之を行ふ。獅子は伎樂の一にて高麗より傳來し、始め佛會のみに用ひたり。攝津國原田神社の祭に、木造の獅子頭を奉る式あり、神使の鹿、家に入れは吉なりとて、獅子頭を冠り鹿を追ひ舞戲せしより起れり。されは中古に佛像を神社に安置せしと、原田祭の舞戲なとに因みて行はれし風俗なるへし。今郡内にて行はるるは、獅子頭(其の面貌を張抜き毛を植ゆ、毛皮を張れる毛獅子、頭角ある雄獅子なとあり)に、牡丹に唐獅子なと模樣染の布衣(毛獅子には総體毛を刺せり)を胴とし、苧を尻尾とせるを、二人胴布の前後に蹋舞す。其の人を獅子ツカイと云ふ。大太皷、地太皷(半胴のは半太皷と云ふ)あり、太皷打とて多くは小兒、友染の衣に袴を着け、花笠を冠り襷を掛けて大太皷を打つ、此の外、笛、手拍子、鉦を以つて舞曲を助く、其の音曲の高低、獅子舞の緩急等節度ありて五段、十二通り、曲遣ひ、或は何村流なと稱し、其の巧拙によりて興味に厚薄あり。又本獅子、御供獅子なと稱し、各組の當家を定め、祭禮前大抵七八日の乃至十數日間、毎夜集合して皆練習するを獅子ナラシと云ふ。而して祭禮當日は、氏子中の獅子組より、幟、吹貫なとを押立て、導き太皷を打なから、長刀振り、鼻高、先驅して來り、大抵社前に位置を定めて數組一時に演奏すること數回。互に優劣を競ひ、遲速を爭ふの風あり。其の盛なること田舎祭の第一たり。又神輿渡御あるには、前供或は後供とて之に加はり、御旅所にて演奏し、還御の時社前に演するを舞込みと云ふ。又祭禮前各家を廻りて獅子舞を爲すを惡魔拂なと稱するも、元來一種の餘興なるへし。されは獅子を以つて神事より重むし。或は行列の途中にて演し、神輿の渡御を紊すか如きは、祭禮の主旨に反する獘風なり。近時獅子を全廢せし所もあれと、地方の古き風習なれは、獘害を改めて存續するは可ならむ。

仲多度郡史 P1149~1151より引用

難しい表現も多いので、これを箇条書きで訳しながら考察してみます。

獅子舞の起源

  • この地方の神社の祭りで獅子舞をするのは古い風習で、秋祭りでは必ず行われている。
  • 獅子は伎楽(古代の演劇)の演目のひとつで朝鮮半島から伝わり、はじめは仏会(仏教行事)でのみ行われていた。
  • 摂津国(現在の大阪)の原田神社の祭りで木造の獅子頭を奉納する儀式があり、神の遣いである鹿が家に入ると縁起が良いので、獅子頭を被って鹿を追いながら舞い戯れたのが起源。
  • 平安時代に仏像を神社に安置するようになったこと(神仏習合)と、原田神社の祭りなどにちなんで行われるようになった風習。

この地方の獅子舞が大陸に由来するのは確かですが、どのような経緯で讃岐に伝わったのかはわかっていません。それを仲多度郡史では原田神社の祭りが起源と紹介しています。事実ならとても興味深いことです。どうやら原田神社には今でも獅子神事祭があり、その社伝によると天武12年(684)に悪疫退除のために獅子頭を奉じて、天養2年(1145)まで数百年にわたって各地を回ったとのこと。また詳しく調べてみる必要がありそうです。

獅子舞の特徴

  • 獅子は獅子頭に胴布を付け、苧(麻の繊維)を尻尾としたもの。
  • 獅子頭は顔つきを張子で作り毛を植える。毛皮を張った「毛獅子」や、頭に角のある「雄獅子」などがある。
  • 胴布は「牡丹に唐獅子」などの模様に染めた布衣。毛獅子の場合は全体に毛を刺す。
  • 2人が胴布の前後に入って舞い踊る。この人たちを「獅子遣(ししつかい)」という。
  • 大太鼓と地太鼓(胴の長さが半分の太鼓は「半太鼓」という)がある。
  • 「太鼓打ち」といい、小さな子どもが友禅染の衣に袴を着て、花笠を被り、襷を掛けて大太鼓を打つ。
  • 太鼓の他に、笛、手拍子、鉦で舞曲(獅子舞の旋律)を補助する。
  • 音の高低、獅子舞の緩急などは決まっていて、五段、十二通り、曲遣い、◯村流など名称があり、その巧拙によって面白みに差がある。

仲多度郡史では当時(大正時代)の獅子舞を解説していますが、現在とほぼ同じです。この地方の獅子舞の様式は、少なくとも大正時代には確立されていたようです。

讃岐の獅子頭は角がないのが一般的ですが、この地域には角の生えた獅子頭を使っている獅子組がいくつかあります。獅子頭が毛で覆われた「毛獅子」は香川県全域に見られますが、胴布全体にまで毛を生やしているのは土器川周辺地域にしか見られません。また香川県の東部では鉦をベースにした獅子舞が多いですが、西部では太鼓をベースにしたものが多く「半太鼓」や「太鼓打ち」もこの地方の特徴と言えます。手拍子はわかりませんが、笛を使う獅子組もまだ残っています。

祭りにおける獅子舞

  • 「本獅子」「おとも獅子」などというものがある。
  • 各組の当屋(集落ごとの当番)を決めて、祭り前の1~2週間、毎晩集合して稽古するのを「獅子習(ししならし)」という。
  • 祭り当日は、各集落の獅子組が幟や吹流しなどを立て、「導き」の太鼓を打ちながら、長刀振り、鼻高が先導しながら神社に来る。
  • 神社の前で位置を決めて数組の獅子組が同時に何回か演奏する。
  • 互いに舞の優劣の競い、遅いか速いかを争う風習がある。ここが一番盛り上がる。
  • お神輿の渡御があるところは、行列の前か後ろに参列して、お旅所で演奏する。
  • お神輿が神社に帰ってきた時、神社前で演じることを「舞い込み」という。

「本獅子」や「おとも獅子」などというのはこの地方の祭りの歴史を裏付けるものです。本来は獅子頭などの道具は神社の持ち物(祭礼用具)で、その年の当番である集落だけが獅子舞をしていました。これが「本獅子」です。しかし順番が待ちきれない集落が自前で道具を用意し「おとも獅子」として参加するようになりました。そしてそれが獅子舞を競い合う祭りへと変化したものと思われます。

大正時代の祭りの様子も現在とほぼ同じです。「導き」や「舞い込み」という言葉は今も使われています。獅子習(ししならし)は初めて知りました。現在は夜鳴らし(夜慣らし)という言葉を使っていますが、もともとは「夜習し」だったのかもしれません。

興味深いのは、獅子組を先導する長刀振り鼻高という役どころ。長刀(なぎなた)振りは一部の地域でしか見かけなくなりましたが、鼻高は鼻高天狗(略してダカ)として今も残っています。推察するに長刀振りが獅子組の露払い。鼻高が道案内といったところでしょうか?

獅子組への批評

  • 祭り前に各家を獅子舞をしてまわるのを「悪魔祓い」などと呼んでいるが、本来は一種の余興。獅子舞を神事よりも重んじている。
  • 行列の途中で演奏し、お神輿の渡御を乱すようなことは、祭礼の趣旨に反する悪い風習である。
  • 最近は獅子をやめてしまったところもあるが、この地方の古い風習なので、悪いところを改めて存続することはできるだろう。

大正時代では、獅子組にあまり良い印象を持たれていなかったようです。それは神事(神様への祈り)よりも芸能(大衆の娯楽)を優先した結果でしょう。しかし昨今の民俗芸能の多くはそのような過程を経て生まれたものであり、地域を豊かにする文化的な活動です。神事から芸能へ変わっていくことを風流フリュウと言いますが、この地方の獅子舞で風流化が進んだのがちょうどこの時期なのかもしれません。

古文書から獅子舞の謎を解く

仲多度郡史では、前回ご紹介した「西讃府志」とはまた違った視点から昔の獅子舞の姿を知ることができました。獅子舞は「無形」の民俗文化財。形として残っている古文書は獅子舞の謎を解く数少ない手がかりなのです。

古文書は古語が多く使われ、時代背景も異なるので事実と違った解釈をしているかもしれません。もしお気づきの点がございましたら、お気軽にコメントください。

参考史料

  • 仲多度郡史
    大正7年(1918) 香川県仲多度郡/編 
    P1149〜1151

※昭和47年(1972)と昭和62年(1987)に復刻版も出版されています。

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