空中写真

1948年9月25日撮影 空中写真 多度津町山階南部

この写真は昭和23年(1948)の多度津町山階周辺の空中写真です。

本記事は2024年4月26日に一部改訂しております。

空中写真とは?

空中写真とは空から地表を撮影した写真のこと。航空写真空撮とも呼ばれます。

現代では人工衛星からの撮影が可能になり、誰でも世界中の空中写真を観ることができるようになりました。最近は地図サイトなどで観ることも多いと思います。

しかし、数十年前の空中写真を観たことがある人は少ないかもしれません。空中写真は100年以上の歴史があり、昔から気球や航空機で撮影されてきました。

国土地理院からその一部が公開されています。

空から見る地元の変遷

昔の空中写真から地元の移り変わりを見てみます。

昭和23年(1948)

約75年前に米軍によって撮影された空中写真です。大きな建物は少なく、田畑が方眼紙のように条里の地割に沿って広がっています。ほとんどの人が農業で生計を立てていた時代です。

①弘田川②古子川(現在:二反地川)も自然のままの状態。川は大雨の度に氾濫していたようです。地割には昔の川筋や氾濫した跡が残っています。

③春日神社の参道は弘田川の川筋に沿って途中で曲がっています。参道に繋がっている道は④大正国道24号線(旧国道)です。現在の国道11号線はありません。白く見えるのは舗装されていないためです。

北には⑤国鉄予讃本線(現在:JR予讃線)、東には⑥琴平参宮電鉄の多度津線が通っています。多度津〜琴平間を結ぶ電車があり、⑦三井駅がありました。

この当時の山階は多度津町ではなく「四箇村」です。現在の四箇地区公民館の位置に⑧村役場や駐在所があり、隣には⑨四箇小学校と四箇中学校がありました。

四箇中学校は昭和22年に開校。小中共有の木造講堂がありましたが、昭和26年に焼失、翌年に新築されています。

昭和29年に四箇村は多度津町に編入。その翌年に四箇中学校は多度津中学校に移転統合しました。

昭和37年(1962)

昭和30年代に入ると移動手段が鉄道から車へと変わっていきます。①琴平参宮電鉄はこの翌年に廃線となり、その後は県道多度津善通寺線として車が走るようになりました。

昭和30年には瀬戸内海で大きな事故がありました。紫雲丸事故です。修学旅行生など168名が犠牲になったこの事故は瀬戸大橋建設のきっかけとなり、全国の学校で水泳学習がはじまりました。

写真をよく見ると②プールができています。四箇小学校にはじめてプールができたのがこの年です。その隣にあるのは③四箇幼稚園。昭和29年に多度津町に編入される直前に開設され、小学校の校舎を園舎として使っていました。

四箇村役場の庁舎は④四箇地区公民館として使われるようになり、隣には四箇農協の事務所や倉庫ができています。

山階では下所に⑤農協倉庫がありました。現在は移転していますが⑥西沢農機(現在:ニシザワ)さんの工場も近くにありました。

⑦石川商店さんはこの当時からあります。

昭和42年(1967)

昭和40年代に入ると高度経済成長によって変化が現れはじめます。

①国道11号線が新設され、国道沿いの土地開発がはじまりました。弘田川を挟んで東には②四国アンネ(現在:コスモテック)さん、西には③日立建機(現在:日立建機日本)さんが社屋を建てはじめています。

④天霧山で砕石業がはじまったのもこの頃です。

⑤四箇小学校では校舎の建て替えがはじまっています。鉄筋2階建の校舎ができたのは昭和44年です。また隣の農協も倉庫などが増えています。各地区の農協が合併し⑥多度津町農協ができました。

山階では昭和40年に⑦簡易郵便局が開局。現在は下所にありますが、当時は本村に郵便局があったようです。

またこの頃の山階では満濃用水の補水を受けて、潅排水工事(農業用水路の整備)が進められていたようです。工事は昭和38年から12年かけて行われ、長年の旱害(水不足)問題は解消していきました。兵田集落にはこの年に⑧頭首工(取水堰)が建設されています。

上集落では近隣住民の協力により新しい道が作られ、現在その道は⑨町道28号線の一部になっています。

昭和48年(1973)

アスファルト舗装された道が多くなりました。白い道がなくなっていることがわかります。川にコンクリートブロックの護岸が築かれはじめたのもこの頃です。

①四箇小学校では鉄筋2階建の校舎が完成し、②四箇幼稚園はこの年に隣に移転しています。③三井保育所さんができたのもこの年です。保育所の近くには④金井鉄工所(現在:金井工業)さん⑤須藤酒店さんがあります。

県道西白方善通寺線沿いには⑥森鉄筋(現在:三立工業)さん⑦三和シヤッター工業さん⑧岡内勧弘堂(現在:四国アルフレッサ)さん⑨ホテル金閣(現在:HOTEL MYTH 999)さんがあります。

山階を通る町道26号線沿いには⑩英弘チェン(現在:ダイナマイトコーポレーション)さん⑪リッチボンさんができています。山階の青年会はリッチボンの空き地で盆踊り大会などを開催していました。今でも山階本村の交差点を「リッチボンの交差点」と呼ぶ人はたくさんいます。リッチボンの交差点から南下すると⑫大原組さん⑬宮本養鶏場さんがありました。

春日神社の参道の側には⑭善通寺木材市場さんができています。国道11号線沿いには石油店(ガソリンスタンド)が次々と出店していました。

昭和50年(1975)

当時では珍しいカラーの空中写真。昭和50年代になると人口が増えて団地や社宅が増えはじめます。

①青木団地②西村団地③波止浜造船(現在:多度津造船)さんの社宅ができています。社宅の東には④多度津町農協くみあいマーケット(通称Aコープ)さん⑤白井興産さんの倉庫もできていますね。

県道西白方善通寺線沿いには⑥杉上建機(現在:トーヨースギウエ)さん⑦金丸鋲螺製作所(現在:デザインアーク)さん⑧水島臨海通運さん⑨カリモク家具販売さんがあります。

春日神社の参道を出て国道11号線沿いには⑩ラーメン大学さん⑪北京飯店とり一番さんができています。⑫ホンダSF善通寺さんサカイ自動車販売(現在:Honda Cars 香川中央)さんもあります。

交通量が増え、飲食店や販売店が出店しはじめたのがこの頃です。かつて電車が走っていた⑬県道多度津善通寺線沿いにも建設関連の企業や飲食店ができはじめています。

昭和57年(1982)

企業や店舗の数が急激に増えています。昭和40〜50年代に設立した企業、開店した店舗が多いようです。

四箇小学校も昭和50年代に大きく変化しています。昭和51年に木造2階校舎を取り壊して①鉄筋3階建ての校舎が完成、昭和52年に木造講堂を取り壊して②体育館を新設。さらに昭和54年には要新池の西側を半分埋め立てて③運動場を拡張しています。

小学校の斜め前には④河内医院(現在:河内病院)さんもできていますね。三井保育所さんの斜め前には⑤運動場ができていますが、まだ現在の園舎はないようです。

山階では⑥天霧団地⑦グリーン団地⑧大倉団地など次々と団地ができています。⑨山階簡易郵便局は現在置に移転しています。

春日神社の参道はまっすぐ延び、先には⑩大和教材さんが移転してきています。数年後、隣には西讃興業さんができました。

このような発展の一方で、この年の前後は台風などの影響で水害に悩まされます。⑪春日橋(通称:みどりばし)は昭和54年に架け替えられ、⑫藤波池・新池の改修もはじめられました。

昭和63年(1988)

昭和60年代になると交通が大きく発展します。昭和62年に多度津〜観音寺間は電化路線となり、国鉄からJRへと変わりました。また国道11号線の南には①高松自動車道(当時は善通寺IC ~三島川之江IC)が開通しています。

四国アンネ(現在:コスモテック)さんの東には和風レストランがありましたが、その跡地に②パチンコホームラン(現在:ダイナム)さんができました。昼は天霧山からダイナマイトの発破音が鳴り響き、夜はパチンコ店やモーテルが空にサーチライトを照らしている。そんな時代でした。

③四箇地区公民館は昭和59年に新築拡張され、それに伴って④駐在所は現在の位置に移転しました。隣には多度津町消防団第三分団屯所もできています。

⑤多度津町農協野菜集出荷場も完成、⑥四箇小学校のプールは昭和61年に新築されています。

山階では⑦東上橋が架けられ町道379号線が整備されています。⑧藤波池・新池の改修工事も完了したようです。池の南側には⑨原組さんの倉庫もできています。

また弘田川水系の洪水被害を防ぐため、県は昭和60年より大規模な河川整備事業に着手します。改修工事は河口から上流(南)に向かって進められており、これは現在も進行中です。

この頃の山階は非農家のサラリーマン家庭の方が多くなっていますが、まだ36%は農家(多くは兼業農家)をしていました。

平成21年(2009)

平成に入ると土地開発は減りはじめ、企業や店舗の建て替えや入れ替わりが多く見られます。飲食店やコンビニが増え、喫茶店はカフェへと変わっていきました。

写真には国道11号線沿いのガソリンスタンドがなくなり、①焼肉松坂さんができる直前の様子が写っています。うどん店が増えたのもこの頃からです。平成13年に②百こ萬(現在:製麺七や)さん、平成16年に③めん一さんが開店しています。

弘田川の改修工事は水月橋付近まで進んでいます。川幅を広げて④取水堰を建築している様子が写っています。この工事のために収用された土地の中には春日神社に寄贈された田も含まれていました。山階の春日神社の灯籠や玉垣の一部はこの時の土地売却金で平成8年に建立されています。

⑤二反地川も工事に向けて河川沿いの土地が収用されています。上流(南)の方は蛇行がなくなり川筋がまっすぐになっています。

天霧山では砕石が東面まで進み、山階地区からも山肌がはっきりと見えるようになりました。また麓を流れる東碑殿川からの土砂災害を防ぐため⑦砂防ダムの建設がはじまっています。工事は平成17〜23年にかけて行われました。

さらに平成以降、国の防災事業として多くのため池が整備されました。池まわりに遊歩道などが設けられたことで堤の幅が広くなっている池がいくつか見られます。

山階は昭和から平成にかけて2,400人以上の人口を抱え、多度津町で最も人口の多い地区でしたが、この頃から人口が急速に減りはじめます。世帯数としてはこの頃が最も多く、山階で814世帯が暮らしていました。⑧天霧第二団地⑨ダイヤタウン才の木ハイツができています。

平成19年の郵政民営化に伴い、山階簡易郵便局は一時閉鎖していましたがこの年から再開しています。リッチボンさんも平成になって⑫ワイケーエスさんに変わりました。

平成27年(2015)

稲刈り前の9月に撮影された写真です。青々とした稲田が広がっています。藤波池の東側にある①善通寺市弘田町では早場米の作付けが多く、収穫を終えている田も多いようです。

弘田川は水月橋付近の蛇行がなくなり川幅が広くなっています。②取水堰は平成22年に完成、③水月橋は平成23年に架け替えられました。

二反地川も同様の整備が西村団地付近まで進められており、④岡南橋⑤西村佃橋が架け替えられています。

また少子高齢化が急速に進んでいます。国勢調査結果によると山階ではわずか10年で65歳以上の人が1割増えて、3人に1人が高齢者となりました。

60年近く農協の施設として使われてきた土地は⑥空き地に変わっています。翌年この場所にデイサービスセンターかりんさんが設立されました。介護施設が増えはじめているようです。

令和3年(2021)

最近の空中写真。わずかに変化が見られます。

①真鍋クレーン建設さんが北に移転し、②ローソンさんができています。四箇小学校では平成29年に③体育館の屋根を改修したようで屋根の色が変わっています。農協野菜集出荷場はなくなり、その西に④グループホーム愛寿苑さんができています。

川の改修工事も進んでいます。弘田川は多度津造船さんの社宅付近まで整備され、⑤本岡橋が架け替えられています。二反地川は⑥宮後池付近まで来ています。

⑦三井新池も改修がはじまっているようです。

人口や世帯数は減少し続けています。国勢調査結果によると、山階の人口は10年間で約18.5%減少、世帯数は11.9%減少しています。空き家も目立つようになってきました。それでも山階の人口は多度津町の中で葛原に次ぐ2番目の多さです。面積は奥白方に次ぐ2番目の広さを持っています。令和2年時点の山階の人口は1,882人。717世帯が暮らしています。

農家は約5%まで減りました。それでも多度津町全体からすれば農業が盛んな地域です。家の近くに田畑があり、米や野菜を自家栽培している家庭も多いです。

商業施設や娯楽施設は少ないものの、昔ながらの原風景や風習が残っている土地。自然が豊かでのびのびと暮らせる故郷です。

まとめ

空中写真をスライドショーで繋げてみました。

1948年9月25日撮影 空中写真 多度津町山階南部
昭和23年(1948)
1962年9月20日撮影 空中写真 多度津町山階南部
昭和37年(1962)
1967年8月4日撮影 空中写真 多度津町山階南部
昭和42年(1967)
1973年5月24日撮影 空中写真 多度津町山階南部
昭和48年(1973)
1975年2月24日撮影 空中写真 多度津町山階南部
昭和50年(1975)
1982年5月23日撮影 空中写真 多度津町山階南部
昭和57年(1982年)
1988年4月30日撮影 空中写真 多度津町山階南部
昭和63年(1988)
2009年4月29日撮影 空中写真 多度津町山階南部
平成21年(2009)
2015年9月11日撮影 空中写真 多度津町山階南部
平成27年(2015)
2021年1月21日撮影 空中写真 多度津町山階南部
令和3年(2021)

昔の空中写真で土地の変遷を見ることは、その土地の歴史を知ることができるだけでなく、その土地の特性を掴み、災害リスクを減らすことにも繋がります。ぜひ皆さんも自宅周辺の昔の空中写真を見てみてください。

なお、記事の内容は記憶に頼っている部分もございます。誤り等ございましたらご指摘ください。掲載している航空写真は、国土地理院ウェブサイト(地図・空中写真閲覧サービス)の画像を当サイトで加工したものです。

参考史料

  • 多度津郷土史年表
    昭和45年(1970) 多度津町史編集委員会/編 


    P30〜32、37、39、43
  • 角川日本地名大辞典 37 香川県
    昭和60年(1985) 角川日本地名大辞典編纂委員会/編 


    P1060
  • 多度津町誌
    平成2年(1990) 多度津町誌編集委員会/編 


    P67〜69、605〜607、722〜723、756、767

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