大祭りと小祭りの違い

香川県には、大祭り小祭りというように、2つに分けて秋祭りを行う地区があります。

私たちの多度津町山階地区もそのひとつ。でも、どうして2つ祭りがあるのでしょうか?

どちらも収穫前の祭りであり、目的に違いがあるようには思えません。いろいろ調べてみると、なかなか複雑な理由があるようです。今から70年ほど前に発行された『四箇村史』にそのことが書かれていました。

大字と小字の祭り?

大祭りと小祭とを比較してみれば、大祭りと云うのは少くとも大字の祭り(それが他の大字と共同であるにしても)であり、小祭りの方は(それが他の小字と共同であつても)大字或いは小字のみの祭りである場合もある。

『四箇村史』 P796より引用

なるほど、確かに山階の小祭りというのは、小字の集落のみで行う祭りです。でもそれは祭りを分ける理由にはなりません。どちらかだけで良いはずです。

新しい祭りと古い祭り?

四箇村史はこう続きます。

一番著しい相違点は、おおむね大祭りが新暦であるに反して小祭りは旧暦で行われている。もとは旧暦で行われていた大祭りが新暦で行われるようになつたのは、戦前に於いては内務省に届けねばならぬ祭りであつたからであり、又学校の児童とか生徒を休ませる為にも大祭りは新暦によつて祭の期日を統一しなければならなかつたのであろうと思われる。小祭りの方は小さい部落単位のものであるから部落毎に日を定めて居ればよかつたのである。

『四箇村史』 P796、797より引用

これは最初意味がよくわからなかったのですが、歴史を調べることでわかりました。

その昔、山階の大祭りは旧暦9月9日に行われていました。これは九州の秋祭り「くんち(クニチマツリ)」と同じです。秋祭りをするためにはみんなが参加できるよう仕事や学校を休み(祭日)にしなければいけません。しかし国が新暦を採用したため、旧暦9月9日は祭日にできなくなりました。そこで、やむなく新暦10月18日を祭日としました。しかし本来なら旧暦9月9日に行うべき祭り。それを何とか残そうとした結果、大祭りを新暦10月18日、小祭りを旧暦9月9日に行うようになった、というわけです。

しかし、ここで更に疑問が湧きます。

今の私たちの大祭りは10月の第1日曜、小祭りは第2日曜日となっており、新暦10月18日でも旧暦9月9日でもありません。そうなれば、小祭りとして残す意味はないように思います。

そもそも大祭りが旧暦9月9日に行われていた時代、小祭りも既にあったそうです。それは旧暦8月15日や28日に行われていたといいます。こうなると大祭りと小祭りが2つに分かれているのは別の理由がありそうです。

その答えは別のところにありました。

氏神様とすべての神様の祭り

明治の神社統合の際に、香川県などは多くの小祠を氏神に統合したが、今だに残つているこれらの小祠の祭日を統一して小祭りとしたようにも思われる。そうしてその祭りの日をクニチマツリとしたのが古い信仰の破片であろう。尚これ等の小祠の中には氏神の社に統合されることを好まぬ社もあり、又、住民の信仰から氏神に統合出来ぬと考えられる異種の神もあつたのであろう。山階の五所はんなどは一旦、春日神社に統合していたが、祟るのでもとの土地へ戻したなどとも云つている。
要するに、氏神によって統御出来ぬ神々が未だに小祠として存在し、小祭りによつてその祭りを受けているのである。
四箇村の秋祭りは、大祭りと小祭りの二度の祭りが讃岐の他村も同様であるが、その特色であり古い固有の信仰を反映しているものと思われる。

『四箇村史』 P811より引用

日本は八百万ヤオヨロズの神様の国です。ありとあらゆるものに神が宿り、それを崇めると言う考え方が日本人の根幹にはあります。氏神様以外の神様を崇めないわけにはいかなかったのでしょう。

春日神社は山階の氏神様ですが、地区内にはその末社や氏神様と関係のない神様もたくさん祀られています。地神的性格を持った神様もいれば、水神様やどこからか漂着した神様もいます。そういった神様を祀るために小祭りはあるのでしょう。大祭りは氏神様を祀る祭り小祭りはすべての神様を祀る祭りと私は解釈しました。

時代を経てもなお、香川県の秋祭りが大祭りと小祭りに分かれているのは、万物に感謝し崇拝する心を持ち続けているという証なのかもしれません。

参考史料

  • 四箇村史
    昭和32年(1957) 四箇村史編纂委員会/編 


    P796、797、806、808〜811

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